喜び

頑張り屋

『佐々木、イン、マイマイン』を見たよって話

映画館久しぶりすぎ。

 

  映画館にめちゃくちゃ久しぶりに行った。映画館が久しぶりだった理由にコロナが〜とかはあんまり関係なくて、映画館で見たい映画っていうのがあんまり無かったかもっていうのとか色々。コンセチャレンジで映画無料券みたいなのが当たった時もあんまり食指の動く映画がなくて無駄にしたりもした。もったいな〜。話が逸れた。

 

『佐々木、イン、マイマイン』は元々映画館で見る気はなくて、というか私の行ける映画館でやると思ってなくて、こっちでもすることや公開日当日に見られることにまず驚いた。私は藤原季節が好きなのでね…。なんで急にって思った時、初めはking gnuの人が出るからなんじゃないかって思って井口ありがとなって考えたりしたけど実際出てたのって映画の中では一瞬だったしそういうわけでもないんだろうな。自分が見られると思っていなかった映画が見られるようになった時、自分を納得させるためにも何かそれっぽい理由を考えるせいでこんなことにね。全員に失礼。

 

  ここから先は感想になるけど私は藤原季節が好きな分正しい見方が出来てないかもしれないのが自分でも嫌になるな。贔屓目が入ってるんじゃないかと自分の感想を疑ってかかってる。

 

  初めは佐々木が底抜けに明るいやつだと思ったんだけど、佐々木のパーソナルな部分に近い描写が入るたびにあの明るさは裏のある明るさに見えてきた。時折、自分を誤魔化すための明るさにすら見えて痛々しさもあった。ある場面で悠二が言われてた「周りに人がいる時に感じる孤独もある」(意訳)っていうセリフが余計に佐々木もそうだったのかもしれないと考えさせてしまった。心が痛い。悠二や多田、木村の青春と呼ばれる時間の中心に佐々木はいて本当に『青春に似た男』だと思った。悠二が過去を振り返ると要所要所に出てくる佐々木との思い出。大きな存在だったんだとつくづく。

 

  思い返せば佐々木はほとんど自分のことは話さなかった気がする。意図的にと言っていいほど自分の話題は避けていたようで誰よりも閉じた人間だったのかもしれない。先に書いてるけど彼の明るさは予防線のような、自己防衛のようなものなのでは。嘘じゃないけど、嘘のお調子者。

 

 

  次は映画の感想としては掘り下げるものじゃない感想で、藤原季節がご飯を食べるときにお箸の上らへんを持っていたのが私もお箸は上らへんを持つのでときめいた。これはTwitterにも書いた。自分が殴られたり蹴られたりするのは嫌だけど藤原季節が居酒屋で喧嘩するシーンでの手の挙げ方が好きだった。苗村さんやってる人きれいな人だなと思った。同い年だった。

 

 

  藤原季節見たさに行った映画だったけどそういうのって邪な考えだよな。いい映画だった。良かった。佐々木という人間像はすごい人を引き込むものだったから邪な考えで見に行ったことを後悔するほど。俳優目当てで行くとフラットに見られない気がするからいい加減私はそういうのやめた方がいいよ。

 

 

追記

king gnuの〜の意味としては「ファンの人がめちゃくちゃ要望を入れたからなのかな」っていう意味合い。