喜び

頑張り屋

2月6日

風呂の日だったらしい。語呂合わせね。

 

今日の夜はなんだか気分が重苦しくなってお風呂に入るのが億劫だった。働いてないから疲れるようなことをした覚えもないし、そもそも家にずっといただけの人間に疲れる資格はないのに、ずーんとした気持ちになって、お風呂入るべきなのに~とだけは、思い続けていた。まあ働いてないから究極お風呂入らなくてもいいっちゃいいんだけど、これ以上髪の毛がべたつくのに耐えられないから、せめて頭だけでも洗うつもりでえいやとお風呂に入った。昨日だって入ってないのに今日もお風呂に入らないことを選択してしまうと明日1日気が滅入って仕方がないことを私は知っているので。

 

頭だけでも洗うか、のときは、上の服は着たままで、ズボンだけ、脱いだり脱がなかったりしてる。今日はズボンを脱いで入った日。洗髪の前に洗顔をした。泡を流すときに服が濡れてしまった。ひらめいた。お風呂に入れないなら、入らざるを得ない状況を作ってしまえばいい。そこからは服が濡れようが気にせず、ジャバジャバお湯をかぶりながら、頭を洗った。こんなに濡れてしまっては、服を脱ぐしかない。服脱いじゃったしついでに体洗おう。そうして無事、入浴を済ませることができた。最低限お風呂には入れたからそれ以降の手順の保湿もしてなければ髪もきっちりは乾かしてない。あと歯磨きはしたけどフロスはサボった。でも十分やったよ。多分。十分のハードルが低すぎると自分でも思うけどまあそこはそういうことで許してください。明日以降の私が保湿もフロスもちゃんとやってくれるから。

 

本当はひと月でも毎日日記を書くとか、後から恥ずかしくなってもいいからなにか物語を作るとか、どれだけ自分のへたくそな絵と向き合うのが苦痛だろうが毎日1枚絵を描くとか、そういう積み重ねをやっていきたい。すべてが中途半端だ。

観たい映画の話(ウォンカとチョコレート工場のはじまり)

ウォンカとチョコレート工場のはじまりのプロモーション本当最悪で、日本ではそっちの方が有名だからとは言えずっと「チャーリーとチョコレート工場」の前日譚って触れ回ってるの無理すぎる。そんなの本当に「チャーリーと〜」の前日譚だと思って観に行った人が別物だってなるの分かるじゃん。監督だって「夢のチョコレート工場」の方を元にしてるって言ってるのに。「チャーリーと〜」はあれ一作であらかた完結してるの知ってるはずなのに、余計なこと書くからガラスのエレベーターがとかウンパルンパがとかティムバートンの世界観がとか言われてしまう。

 

私はこれの予告が出たときからずっと楽しみにしてたのに、それこそ予告が出たときから勝手に悪く言われてるの悔しい。公開前にするべきことは「チャーリーと〜」のBlu-rayを出すより「夢の〜」を日本で上映するとか円盤にするだったと思う。

 

Filmarksでは今のところ高評価な感じでいいんだけど、「チャーリーと〜」が好きな人がプロモーションに勘違いさせられたまま観に行って肩透かし食らう人が出てしまうのってもったいない。みんながみんな、『「チャーリーと〜」の前日譚ではないけどおもしろかった』になるわけじゃないし。あと前作まで見たことないって人が「チャーリーと〜」を観てみるって言ってるのももったいない。別物じゃんって感じてしまうに決まってるから。

 

日本の広報最悪すぎるって散々言ってきたけどすみっコぐらしの映画がこれのポスターをオマージュしてるのは好き。どこの映画館もそうなのかは知らないけど、私がポスターを見かけたところでは隣同士に並べてあって良かった。

ドラマ見るの下手

後回し癖のせいで初恋、ざらりの4話見る前に配信が終わってしまった。4話抜けた状態で5話見なきゃいけない。やがて来るであろうテレビでの放送を録画できれば4話も見ることができるけど。まあU-NEXTに入ったら見られるらしいけどサブスクなんてウォッチリストに入れたらもう後回しにしまくるのが目に見えてるから。現にプライムビデオでそうだからね。同担増えるのかなー。ざらり出の同担を観測したらしょうもないマウント取ってしまいそうで嫌なんだ。元から同担はちょっと嫌だけど、ここで言う“嫌”はそういうの見て嫌な人になりそうな自分が嫌、という意味。

 

ドラマ見てるとたまに、ほんの少しだけ、おれは顔可愛くも頑張り屋さんでもなんでもない無能なだけの知的障害者と思うことがある。

あーあ

本来そういうものじゃないし、大抵がオタク上がりなんだから、顔面の程度なんかたかが知れてるのに、顔好きな声優出来てしまった。こんなのあんなに見下してた声優の顔ファンと同じじゃあないか。でも違くて笑 別にそんな、テレビによく出てる人らと違って顔見てがっかりするような見た目の人じゃなくて笑
とはいえ、アニメ見たりする気にはなってない。アニメって長いから。ドラマでも挫折しやすいんだからアニメなら、なわけがないだろ。今動いてるソシャゲも知ってる限りではひとつあるんだけど絵が苦手で笑 違うふたつだ。そっちはソシャゲって呼んでいいか怪しいから忘れてた。なので本当に純度の高い顔ファン。私知ってるんだ。こういうオタクってとくにヤラカシとかしてなくても存在が疎まれるんだよね。オタク如きに疎まれたとてだけど。逸れた。10年前の画像とか見たら細くてまだオタクが抜けきってなかったのもちょっとキモくてかわいい~って思ってしまったし。もう手遅れかも。おれはおしまい。クソキモオタクです残念でした。お父さんお母さんごめんなさい。あと前友達に言われた「メガネほんと好きだね」が忘れられない。まさしくだったから恥ずかしさすらある。
番組の企画かなんかで出したっぽい3年前くらいの曲のジャケは今よりだいぶラインが細くて、それはそれで見た目がバンドマンみたいで好きヤ笑 あーあ結局バンドマンからは逃げられないんだ。思春期に邦楽ロックばっか聴いてたせいでこんなことに。ちなその曲今2023年よく聴いた曲の1位になってる笑 これ年末までキープして本当に2023年いちばん聴いた曲になってたらすごい。笑ってしまう。

 

今期のドラマも途中で見るの止まってるのに、次のクールもドラマ出る情報来ちゃった。あれ見てからずっと、風間俊介さんがあれを?!って思って苦しい。原作をTwitterで見てたから大筋みたいなのは分かってるつもりなんだけど、だからなおさら。岡村さんちょっとえっちすぎた記憶あるから、風間俊介さんのビジュも相まって本当に、ずっと苦しい。両手で顔を覆って指の隙間からドラマを見ているなんてことが起こってしまうかもしれない。まだビジュアルしか発表されてないのにおかしくなっちゃいそう。心臓が破裂しそう。あの画像のキムタクのファンとほぼ同じ状態にある。始まってしまったらどうなるんだ。私の今の苦しさがすべて肩透かしとか杞憂に終わってほしいとすら思う。
それと、うっすらある心配事なんだけど、当事者(それに近い人)と普通にそういうドラマとして見てる人とが感想で喧嘩しないでほしい。題材が題材なだけに、難しそうではあるから。既にキャストのコメントにケチつけてる人見たし。無理解とか言って喧嘩けしかけないでほしい。作る側も、余計な改変加えて当事者(とそれに近い人)たちから怒られたりしないでほしい。自担が燃えてるの見たくなさ過ぎてキショいモンペみたいなことしてしまう。わたしも当事者といえばそうだけど自担が悪く言われるほうが嫌。己のお気持ちを優先しすぎてしまっているね。

いい加減、しつこい

もうとっくに高校生の年齢じゃないくせにまだこういうこと思っちゃうんですね。我ながらほんと、いい加減、しつこい。

通信制高校通ってて最初のほうは中学からの友達がいたけどクラスが違ったからだんだん会いづらくなって、でも自分は、群れてる時だけ声がでかいオタクとは絶対一緒にいたくないから友達を作ろうとはしなかった。自分で選んだと言っても過言ではなかったカスのぼっちのくせに、自分が手に入らなかった高校生活を送る周りをリア垢を見ては妬んで悪態をついたりしていた。友達と制服を着てプリクラ撮ったりいろんなとこ行きたかった。リア垢に明るいことだけ書いていたかった。

まあそれもだんだん落ち着いてきたなとここ数年思ってたんだけど、Twitterで、制服着て友達と写ってる写真に、フォロワーから確実に「そんなことないよ」が来るであろう「痩せなきゃ」みたいな文言が添えられた、少しだけメンヘラかじって悦に入ってそうな大森靖子を聴くという女子高生のツイートを見ちゃって苦しくなってしまった。たまたまおすすめに流れてきたなんも知らん年下にこんなこと思ってるの本当にみっともない。それと同時に、なんでお前はそれ聴くくせにそれなりに見える学校生活が送れるんだとも思った。私が普通の高校に通ったとしてもそれができたとは限らないのに。てか私には多分無理なのに。腕切らない高校生活を送ってみたかった。飛び降り(厳密には飛び降りではない)なんかしない高校生活を。放課後にどこか遊びに行く、みたいな望みは手に入らないものだったとしても、良くも悪くもない、普通の高校生活を送りたかったと、23歳になるというのに、思ってしまいました。

普通をやるために

短期とはいえバイトが決まって、何日か働いた。初めての週末。昨日の夜から息苦しい。この息苦しさには覚えがある。鬱極まってた時と同じやつ。十分な呼吸をするために常に鼻息が荒いやつみたいになって恥ずかしい。幸い今日は外に出てないけど、勤務中もこれやってたら嫌だな。うるさいし。たった数日でこのザマなの情けないしみっともない。「いやだな」と言いつつもなんだかんだ仕事はするっていうのを、そういう普通をようやくできるかと思ってたのに。諦めるのは早いから仕事には行くけど。終わりが決まってる分何としてもやり遂げたい。これは絶対自分のためになる。

ハローワークで紹介状を出してもらうときに障害の開示はしたけど面接で聞かれたりはしなかったから、普通の人と同じように働けるのかと思ってたら、雇用形態は一般と同じでも、周りからどうも私は障害者として扱われてるらしい。それなりのミスをしてしまったので、ここではその立場に甘えさせてもらうとしても、少しへこんだ。もちろん、職場の人らが誰にでもめちゃくちゃ優しいっていう可能性も捨てきれないけど、なんかナメられてるなという気がしないでもない接し方をされたりもしたので、ここでの私は障害者なんだろうな。自分の物の理解の遅さとか、確かに自分って障害者かもしれないと思ったりもしたから。診断ついてるし、事実障害者ではあるんだけど、義務教育全部普通学級で得手不得手の差はあれど、学校の勉強も生活態度も悪くなかったと思うし、高校だってちゃんと卒業したし、半端に普通とかかわりがあった分、こんなに何もできないわけじゃないってしょうもない意地がある。

 

 

ここ何年か、尾崎世界観尾崎世界観を『やりに行ってる』においがきつすぎて苦手。そりゃ何年も同じ思想信条でいるほうがむしろおかしいから変わっていくことは当然で、どこかで『やりに行く』ことはしなくちゃいけないのかもしれないけど、なんか過剰すぎて受け付けないときがある。一昨日本屋でエッセイの帯見てより思った。

 

結局何も決まらないまま、また1年が終わろうとしている。手に職って言ったって何をして良いのか分からないし、伸ばせるような得意なことも、秀でたものもない。これもまた、誰かがすでに言ったようなことばかりを、さも自分の頭で考えたことかのように、誰も見てないここに書いたりするだけ。情けない。周りと違うこと書きたいってだけで声優になりたいって卒業文集に書いたことがある。アニメなんか大して見てないし、声優になりたいと思ったことも今まで一度もなかったくせに、周りと違くありたいという一点で書いた。すっかりオタクっぽい見た目になってしまい、ガチ感が出てしまったことが本当に恥ずかしい。その職業を書いたことが恥ずかしいんじゃなくて、本気で書いたものでもないのに本気っぽさを他者に感じられてしまってそうなところが恥ずかしい。もう何年も前のことなのにいまだにそう思う。一生離れてくれないのかもしれない。