喜び

頑張り屋

羨ましさ、絶対に手に入らないもの

自分を『裏表のある人間』みたいに言える人うらやましい。オタクの『一般人に擬態』もそんな自信満々に言える神経もうらやましい。

大抵の取り繕ってる感とか建前っぽさって完全に消えるわけじゃなくてどこかに染み出してるものだと思ってるから裏も表も実際ないんじゃないの。裏と表みたいに対になるものを出したほうがはっきりしてて気持ちがいいからそう言ってるのは分かるけど。社会性のためのグラデーションをうまく使い分けられてるって方が近いよねきっと。そういうグラデーションをうまく使っていける人憧れる。あと私の社会に対する場数が年齢の割に極端に少なく、外向きの顔とそれ以外をまず用意することすらできていない状況や、自分が社会からどう見られたいか、どう見られるのが一番立ち回りとして楽に事が運ぶかなど、主観的なことと客観的なことの折り合いが付いていないため自分の身の振り方に対しての不器用さが嫌になるから、自分にない器用さが羨ましく思える。

オタクのはあれ言うタイプのオタクがオタクを隠せるわけがないという偏見からです。そのくせ自信だけは一丁前にあるんだからそういうメンタリティはきっと見習うべきものがある。

 

『普通の学校生活』が送れなかったことで出る損失、まあまあデカい。しかもそれはもう二度と手に入ることはない。損失っていうのは自分やつるむ友人がクラス内でどこのポジションに属してるか、それにより受けてきた扱い、みたいなものの話じゃなくて普通の学校生活を送っていれば向こうからやってくるであろう経験のこと。例えば制服でどこかに出かけるとか、体育祭、文化祭、部活動など。別に体育祭が憂鬱とか、マイナスに近い感情でもいい。私が言いたいのは行事自体に価値があるっていう話だから。

これの何が損失かっていうと、学生時代の話っていうのは結構求められるものなのに一切と言っていいほどそういう時に出せる話題がない。共感の引き出しが少ない。学校にまつわる話のレイヤーが少なく、奥行きのない話しかできない。しかも私はそれらの解像度の低さをカバーできるほどの経験もない。人間として面白みがなさすぎる。「〇〇部っぽい」みたいなやつの解像度、めちゃくちゃ荒い。特に文化部系。美術部と吹部しか分からない。悔しすぎる。学生生活は自分が選んだんでしょって言われちゃうかな。そうだけど違うのにな。

またなにもかも深く考えずに勢いだけでキーボードを叩き続け、文章でも何でもないものをインターネットに流す人間になってしまった。今更~。