喜び

頑張り屋

普通をやるために

短期とはいえバイトが決まって、何日か働いた。初めての週末。昨日の夜から息苦しい。この息苦しさには覚えがある。鬱極まってた時と同じやつ。十分な呼吸をするために常に鼻息が荒いやつみたいになって恥ずかしい。幸い今日は外に出てないけど、勤務中もこれやってたら嫌だな。うるさいし。たった数日でこのザマなの情けないしみっともない。「いやだな」と言いつつもなんだかんだ仕事はするっていうのを、そういう普通をようやくできるかと思ってたのに。諦めるのは早いから仕事には行くけど。終わりが決まってる分何としてもやり遂げたい。これは絶対自分のためになる。

ハローワークで紹介状を出してもらうときに障害の開示はしたけど面接で聞かれたりはしなかったから、普通の人と同じように働けるのかと思ってたら、雇用形態は一般と同じでも、周りからどうも私は障害者として扱われてるらしい。それなりのミスをしてしまったので、ここではその立場に甘えさせてもらうとしても、少しへこんだ。もちろん、職場の人らが誰にでもめちゃくちゃ優しいっていう可能性も捨てきれないけど、なんかナメられてるなという気がしないでもない接し方をされたりもしたので、ここでの私は障害者なんだろうな。自分の物の理解の遅さとか、確かに自分って障害者かもしれないと思ったりもしたから。診断ついてるし、事実障害者ではあるんだけど、義務教育全部普通学級で得手不得手の差はあれど、学校の勉強も生活態度も悪くなかったと思うし、高校だってちゃんと卒業したし、半端に普通とかかわりがあった分、こんなに何もできないわけじゃないってしょうもない意地がある。

 

 

ここ何年か、尾崎世界観尾崎世界観を『やりに行ってる』においがきつすぎて苦手。そりゃ何年も同じ思想信条でいるほうがむしろおかしいから変わっていくことは当然で、どこかで『やりに行く』ことはしなくちゃいけないのかもしれないけど、なんか過剰すぎて受け付けないときがある。一昨日本屋でエッセイの帯見てより思った。